林時夫の世界

 ジャズ評論家の瀬川昌久先生は戦前の昭和のジャズ芸能史を研究なさってて、1976年に、この林時夫氏と、もう一人ダンサーの白幡石蔵氏に話を伺い、その時記述したものを1997年9月に林時夫氏の依頼によって、このような小冊子を作ったようです。定価が何処にも書いてないので販売するのが目的ではなく、知人などに配ったものではないでしょうか。僕は瀬川先生からいただきました。

 僕がこの林時夫というタップダンサーの存在を知ったのは、「日本のジャズソング」という主に戦前の日本人によるジャズソングの録音を集めたLP7枚組のボックスセットを買った時、1曲「リズムに浮かれて」という曲があり、その中に林時夫のタップがフューチャーされていた。「この人誰?」とすごく興味をひかれたが資料がぜんぜんなく、僕の周りに林時夫の名前を知ってる人がいなくて、ず〜と謎の存在でありました。その謎がこの本一冊で解明!以下のようなプロフィールがわかりました。     

 林時夫(本名鈴木啓次郎)明治39年4月10日誕生。東京四ッ谷の裕福な商家に生まれ、健康のため社交ダンスをはじめる。昭和6〜7年頃ジョージ堀に師事し、一年ぐらいで独立、自分のスタジオを開業。昭和8年には「頬を寄すれば」という映画にも出演。川畑文子と共演したり、イベントなどで日本中を巡業。昭和10年には中野忠晴と「バイバイブルース(リズムに浮かれて)」でレコードを出す。昭和14年にタップを引退。

 「林時夫の世界」とタイトルされているが、この51ページほどの本の半分は、ジョージ堀のもう一人の弟子でもある白幡石蔵、日系ジャズシンガーの川畑文子のことが書かれています。これだけ活躍した林氏の情報がなかなか手にはいらなかったのは、彼のメインの活動期間が昭和7年頃から14年頃までと短かったのも原因でしょう。戦前の日本のタップ関係の資料は入手困難なのでとても興味深い話がたくさん載っています。林氏が堀先生に払っていた月謝が15円で、他の生徒を退室させ個人的にやるスペシャルという授業は別料金だったとか、自分のスタジオを作る時、振動が問題で下に砂をひいてから板を貼った事、当時のポスター、スタジオの様子、タップダンサーの交友関係が見えてきました。戦前の日本のタップ界を記録した、とても貴重な資料です。

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