こましゃくれ告知板

 アサヒグラフ1950年11月22日号です。当時のアサヒグラフの中で、毎号「○○告知板」というタイトルでいろんな人物の特集コーナーがあり、この号では「こましゃくれ」と題して、大人顔負けの芸達者な子供の芸人8名を特集していました。歌謡のベリー・ベニー、白鳥みずえ、岡山ルミ子、若葉ひかる、アクロバットの旭けい子、自転車曲乗の横井公子、そしてその筆頭に中川元子(なかがわゆきこ 当時4歳)が紹介されていました。

「古くは高尾光子、小桜葉子から高峰秀子、明日待子などと豆スター華やかだった芸能も、戦争でちょっと中絶したが、最近美空ヒバリ出現以来俄かに各所に豆芸能人が名乗り出た。労働基準法の方は監督署へ届けをだせばよし、学校の方は「この頃ンじゃあ家庭で教えた方がかえって進みが早い」そうで休みも余り問題にならず、十歳以下でも一回出演すれば最低三千円の収入となれば、ちょつとやめられ...否やめさせられまい。子は三界の首枷どころか老いぬうちから子に従い、下手まごつくと社交術まで負うた子に教えられ、なに可愛い子には旅させるのさといい逃げはしても、そこが子の心親知らざる逆現象。十歳以前にして既に志を芸に立てる天才神童方の童心(もし未だありとせばだが)を傷つけて十五過ぎぬうちにタダの人以下になられざるよう、ひそかに杞人の憂いをいたす次第である。」以上本文より。

「父三郎氏は田園調布にスタジオを持つてタップを教える専門家 母マリ子さんは元コロンビアのタンゴ歌手 元子さんは弘子(12)姿子(8)二姉と共に父親から仕込まれ 今年十月日本劇場に出たのが初舞台 「何が一番好き?」にはちょつとハニカンでから「お菓子」と御返答あり 「元子が一番ダンスが好きらしくて」と三郎氏がひきとり「まだ映画なんかにつれていつてもよくわからなくてダダをこねたり眠つちやうんですがイースターパレードを観せた時にはさすがに一生懸命見ていました」と大いに大分あるところを認めるにヤブサカでない模様 進駐軍慰問にも時々出演「しかし日本人相手で日劇や国際劇場でやりますと 何ぶん劇場の予算が少ないので」一回千円程度の口ぶりだが 元子ちゃんは果物を手にとつて兎に角御満悦の体であった」 以上本文より。

 「元子」と書いて「ユキコ」と読むようですが、その事を中川三郎先生の三女である中川裕季子先生にお伺いして確認したら、「元子」が本名だそうです。ただ「ユキコ」と読める人が少なく、若い頃渡米するのにパスポートを申請する時に「ユキコ」でとれなかった為に現在の「裕季子」に変えたそうです。ゆえに三郎先生に抱かれてドレス姿で座っている少女が裕季子先生ということが判明!タップシューズもちゃんと履いています。両脇の少女たちが中川トゥルーパーズとして活躍したお姉様方ですね。芸達者な子供たちに夢中になっている親をちょっと皮肉ったようなアサヒグラフの文章にあまり好感がもてない記事ですが、4歳で日劇の舞台でデビューした裕季子先生の当時の姿がうかがえる貴重な資料だと思います。

アサヒグラフ1950年11月22日号

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